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理系大学生の大学生活や思ったこと、伝えたいことを気ままに書いていきます

学歴社会における学歴は何を示すのか

こんにちは、まゆ助です!

 

今日は久しぶりにまじめなことを書いていこうかな、と思います。

タイトルにもあるように「学歴」について書いていきます。中でもよく議題に挙げられている学歴社会をピックアップしていきます。

まず、学歴社会とは企業をはじめとした周りからの評価がその人の学歴によってある程度、またはほとんど決まってしまう社会のことだと私は考えています。

そんな学歴社会を肯定する人は「学歴が示すものはその人の信頼度や才能である」と否定する人は「学歴に示されない人間性こそが社会には必要なものである」と主張しているように思います。

私は就職における学歴社会には肯定的ですがその他における学歴社会には否定的です。その理由をこれから述べていきます。

 

就職における学歴社会に肯定する理由

「学歴が示すものが企業にとってその人の能力を見定める指標となるから」

私は難しいとされる大学も一部(東大・京大)を除いて、3か月本気で勉強をすれば誰でも受かると思っています。ありえない、という人もいるでしょうが私は大まじめです。難関大学に受かった人と落ちた人の違いは何でしょうか。友人の難関大学に合格した人で一日14時間勉強していた、と話している人がいました。落ちてしまった人はほんとうにそれだけの時間勉強していたでしょうか。していなかったと思います。

「才能の違い」という人もいるかもしれません。才能の違いは二人が同じだけ勉強した時に始めて生まれるものだと思います。

長くなりましたが難しい大学に受かった人は「勉強を続けるという努力のできる人」なのです。

会社にとって努力を続けられる人は必要となってくる人材でしょう。それだけの努力ができるまさに才能を持った人が難関大学に多いのは必然であると思います。

そのため、就職において企業が学歴を指標とするのはなにもおかしくない。むしろよりよい人材を得るために必要だと思います。

 

 

その他における学歴社会に否定的な理由

先ほども書いたように学歴以外に見いだせる芸術やスポーツなどの才能が輝く社会であってほしいからです。特にスポーツはスポーツ推薦もあるようにその競技一筋で続けることで多くの人たちに夢や勇気を与えることができると思うからです。

難関大学の人は頭がいいと評価するのはいいと思いますが、それだけでその人すべてを決めてしまってはその人を学力でしか見ていないことになります。

 

 

最後に

少し長くなってしまいましたが、これが私の考える学歴社会です。学歴すべてでは決めつけてほしくないですが、学歴を一つの指標として、就職に用いるというのは理にかなっているのではないでしょうか。もちろん私と異なる意見も多くあると思います。そのときはこういう意見もあるのだなあ、程度に読んでいただけたら幸いです。