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理系大学生の大学生活や思ったこと、伝えたいことを気ままに書いていきます

流行に生きる人たちと、それを形成する日本の文化

こんにちは、まゆ助です!

今日はずっと思っていたことがあったのでそれを記事にしていきたいと思います。

いきなりですが、トレンド、流行について問題提起したいと思います。意味が分からないと思うので具体的に述べさせていただきます。

 

「あなたが好きなものは本当に好きなものですか?」

 

トレンドや流行がすべての人たち

この問題提起は私の好きな広島カープが人気になりだしたころから思っていたことです。「カープ女子」という言葉は流行語大賞にもノミネートされるくらい世間でも広がりました。カープファンになるのが一種の流行であったような気もします。

ここからは一例として「カープ女子」を取り上げて話を進めていきたいと思います。

私の問題提起とはその流行でカープグッズを身に着けていた人たちはほんとうにカープが好きなのか?というものです。

確かにカープはチームカラーが赤色で、普段のファッションとしてだと派手すぎると扱われてしまうため、こういう機会で着ておきたいという思いがあるのかもしれません。他にも、周りの友達やモデルがカープグッズを身に着けているし、着ていたらかわいいといわれるから着ておこう、という考えかもしれません。

ここで一つ引っかかるポイントがありました。女子が大好きな「かわいい」という言葉は二人以上の登場人物があって初めて成り立ちます。つまり他者に自分を認めてもらうためのメソッド「カープ女子」なのです。

では、なぜ私はこんなにも流行に乗っかる人を否定するのか。それは「自分を自分で認めることができなくなる恐れがある」と思っているからです。

つまり、人に認めてもらうのではなく、自らの長所を理解し、自らの存在価値を自らが認めることができなくなるのです。なぜ、自らで認めることが必要なのか。それは「人生を歩むのは自分自身だから」です。他人に認められる人生よりも自分で認められる人生の方が価値があると思っています。例えば年老いて頻繁に会うような友人も減った時に、その人の存在価値は誰が認めるのでしょうか?自らで認めなければならないのです。他にも、人生の歩む方向を選ぶ際に周りに認めてもらうために選んだ道が失敗したとき、その悔しさ怒りは誰にぶつけるのでしょうか?人生は自らで選択し、失敗したときに救ってくれる存在が周囲の人たちなんだと思っています。

勘違いしないでいただきたいのは流行に敏感な人全てを否定しているわけではないということ。流行だから好きになったふりをしておこう、という考えの人たちのことを否定しているのです。むしろ流行になるということはそれだけ多くの人に知られ、今までにはない窓口によってより大きなコンテンツになる可能性もあり、素晴らしいことだとは思いますが、否定したくなるような人が生まれるのも事実です。今回は「カープ女子」を具体例として取り上げましたが、ほかにもファッションの面であったり、流行の俳優という面であったり様々な場面で目にすることができます。

最近話題の「けものフレンズ」というアニメにも当てはまるでしょう。1話が放送されたときは美しいとは言えないグラフィックや違和感のあるアニメーションなどから「くそアニメ」「誰が見るんだ」という声が上がっていたのを覚えています。ですが、話が進むごとにストーリーの考察や内容から評価され始めました。そしてミュージックステーションにも出演するなど世間にとっても流行になったのではないでしょうか。では、今「けものフレンズ」を好きと言っている人はほんとうに好きなんですか?ということが言いたいのです。

私はこの問題には日本の文化もつながってくると思っています。

 

日本の文化に問題あり

日本人はよく「周りに合わせるタイプ」と言われていると思います。つまり周りの評価を大事にしたり流行に乗らないと不安になってしまうのです。これが先ほどから私の述べている問題をより悪化させるものであることは一目瞭然だと思います。

私はこの文化を全く変えてしまいたい。国の文化なんて変えられるものではないのでしょうが、そう思っています。

おしゃれとされない人は周りからよくない評価を受けるかもしれません。評価をする前にその人のことを認めてあげませんか?その人にはその人なりの価値観があるのでしょう。それを大衆の価値観で考えてしまうのは浅はかというほかありません。

他にも「自分を認めている人はかっこわるい」という風潮があるのではないかとも思っています。私は先ほど自らを認めることが必要と述べました。それと真逆の風潮があるのではないでしょうか。いわゆるナルシストという人たちを指すのでしょう。

私はむしろかっこいいとも思います。自分のことを認めるという他の人にはできていないことを成し遂げているのです。ですが、そんなことさえも大衆の意見の前ではかき消されてしまいます。

アメリカは多くの人種が暮らしていることもあるのか多様性には寛容なイメージがあります。セクシャルマイノリティと呼ばれる人たちも堂々と暮らしているイメージがあります。アメリカの日常を知らないので推測となってしまっていることは申し訳ありません。ですが、日本でのセクシャルマイノリティは窮屈な暮らしをしている気がします。

もっと身近なところでいえば「いじめ問題」ではないでしょうか。小学校のころから周りが嫌いとする人を考えもなしにいじめる。それを救おうとする勇気のある人さえも批判する。こんな環境の中で子供のころから過ごしてきているのですから、日本人の意識が似通ったものになるのは仕方のないことなのでしょう。

 

解決策はあるのか

ずっと書いてきたことですが、私はこんな環境は変えてしまいたいのです。もっと多様性のある社会にしたいのです。

果たして日本の文化というものを変えることはできるのでしょうか。

かなり規模の大きいことですし、私がマイノリティに回った時点で日本らしさの集団主義で認められないのかもしれないです。ですが、少しでも同じ意見の人たちを集めて、政治という面や経済的な面、国際的な面。多くの面から取り組んでいけば一石を投じることもできるのではないでしょうか。

 

最後に

今回の記事は私がずっと思っていたことを書いてみました。私自身が少数派に回ることもあり、その際に意見が拾われなかったり認められなかったりと悔しい思いをしてきました。私と同じ意見を持っていても声に出せていない人がいるのならこの記事で少しでも安心してもらいたいと思います。いつかは日本がもっと多様性のある社会になることを祈っています。そうすることで自らを自らが認めることのできる人が増え、より幸せな人々が増えることを祈っています。